東方紅月歌
 -The Fragments of Sealed Memory- 


第四章 紅魔館メイド事情 

 紅魔館日記 ○X△▲年○■月○△日

 紅魔館にはメイドと呼べる者はわたししかいない。

 当然と言えば当然のこと。

 でも、この広大な敷地を有する紅魔館において、メイドがわたし一人しかいないというのはいささか問題ではないでしょうか?

 ねぇ、お嬢様……


 ティアがレミリアのメイド(正確にはしもべ)となり、そして、拒み続けてきた戦いに挑むようになってから幾週間。紅魔館のメイドとしての一日の仕事量がこれまでに比べて格段に増えていた。もちろんその原因は「侵入者の排除」という仕事が加わったからであることは言うまでもない。
「ふぅ〜、今日はこれで10回目ね……」
 戦うこと。これ自体はさほど苦になることは無かった。だが、戦いとは、少なからず周囲に対して影響を与えてしまうものである。侵入者を排除することに成功すると、ティアはいつも、
「はぁ、まただ」
 と、ため息混じりに散らかった廊下、あるいは部屋を眺めるのだった。
 戦っては掃除をし直し、そして、終わったと思ったらまた侵入者が現われる。これを繰り返しているうちに時間は瞬く間に過ぎていき、気付いたときにはレミリアのお食事の時間だったり、お休みの時間だったりするのだった。
 レミリアもただ黙って見ているわけではなかった。どうしたものか、と考えてはいた。一応、ティアの主として、紅魔館の当主として。
 レミリアの重い腰が上がったのは、そんなある日のことだった。
「ティア、ちょっと話があるの。片付けが終わったら私の部屋にいらっしゃい」
 レミリアは、食後の紅茶を楽しんだ後、後ろに控えるティアに言った。
「かしこまりました。では、片付けが終わり次第、お部屋へ伺います」
 そう言って、ティアは恭しく頭を下げた。
「うん」
 レミリアはティアのその姿を確認した後、部屋を後にした。
 レミリアが出ていったことを扉が閉まる音で確認すると、ティアはゆっくりと頭を上げた。
「……話って何かしら?」
 ティアは首を傾げながら紅茶のセットが乗ったワゴンを押し、片付けのために台所へ向かった。

 コンコンコン。

 紅魔館二階の真ん中に位置するレミリアの部屋のドアが鳴ったのは、それから20分後のことだった。
「お嬢様、ティアでございます」
「入りなさい」
 特に変わったところのない、いつも聞いているレミリアの声が、ティアの考えをますます複雑な領域へと進ませた。
 ティアは片づけをしながら、そしてレミリアの部屋へ来るまでの間ずっと考えていたのだった。

 レミリアは一体何の用件で自分を呼んだのか?

 あれこれ可能性を出しては見たものの、結局わからないままここまでやってきていた。
(まぁ、今から聞くんだし、いいか)
 ティアは軽く首を振ってこれまでの自分の考えを振り払うと、
「失礼します」
 ゆっくりとドアを開けた。相変わらず、ギギギギギ、という古めかしい音を立てながらドアが開く。ドアの向こうでは、レミリアが淡い月明かりを浴びながら安楽椅子に座っていた。
「本日はどのような御用でしょうか?」
「うん、そうね……」
 レミリアはやや言いよどむような言い方でティアに話し出した。
「最近……いや、もう少し前からだと思うのだけれど、この館への侵入者が多すぎるわよね?」
「はい。わたしが来る以前は存じ上げませんが、ここ最近は頻繁に侵入を許しているのが現状です。本日は既に10回の侵入を許しています。ですが、その内の全てを排除しております」
「うん、結構」
 レミリアは、思った以上のティアの働きぶりにやや満足を覚えながら話を続けた。
「だけど、いささか数が多すぎる。このレミリア・スカーレットが治める紅魔館にノコノコとやってくる不届き者がこうも多くては、スカーレット家の名を汚すというものだわ」
「確かに、これだけの妖気を纏った館に普通の妖精や妖怪たちが入ってくるなんてことはありえませんね」
 う〜ん、と唸りながら思考を廻らせるティアを見つめるレミリア。その表情は何か言いたげであった。ティアはレミリアの視線に気付いたのか、
「? どうかなさいましたか? 何かこの件に関してお心当たりでも?」
「そ、そうね。あると言えばあるのだけれど、今すぐどうこうできることでもないから。でも、それ以外に考えられる可能性が見えないのよね」
「でしたらどうにもなりませんね。これでは。わたしとしては、お嬢様の仰る、『あると言えばある』という言葉が気になりますが」
 ティアはレミリアの言いたい事に対しておおよその見当が付いていた。だが、ティア自身も本当なのかどうかを確かめる術を持ち合わせていなかったので、敢えてここは気付かぬ素振りで別の方法を考えていたのだった。
「何か具体的な対策を練る必要がありそうね」
 レミリアは安楽椅子から立ち上がり、ゆっくりと歩きながら考え始めた。

 くるり、くるり。

 ティアはレミリアの歩く姿を目で追いながら、レミリアの次の言葉を待った。
「……そうねぇ……まずは、門番。紅魔館への侵入を防ぐ最初の防壁として門番が必要でしょうね」
 ティアは、確かに、と思った。あの大きな門ががら空きということは、どうぞ無断で侵入してください、と言っているようなものである。
 だが、ティアは思う。
(敷地が広い分、隙を見つけて入ってくるかもしれないわ)
「そう、門番だけでは侵入を完璧に防ぎきれないでしょうね。ここはやはり、最終防衛ラインとして、館内の警備体制が必要になるわ」
(! 読まれた? いや、そういえば既に侵入されていることが前提なんだったわ)
 ティアは一瞬心を読まれたのかと思いながら、既に侵入者対策が館内からの排除に移っているところに思わず心の中でツッコミをいれてしまった。だが、自分が思っていることは、レミリアにとっては当然考えが及ぶ範囲であることを思い返す。
「かしこまりました。では、館内の警備体制を整えられるよう、早速働き手の呼びかけをしましょう」
「待って、ティア!」
「はい?」
「そうすぐに行動に移す必要は無いわ。折角だから……そうねぇ、あなたの部下を集めるということにしましょう」
「ぶ、部下、ですか……まだまだ部下を従えられるほどの経験を積んでいませんというのに」
「もう決まったことよ。さ、直ぐに仕度をしなさい」
 仕度、と聞いてティアは首を傾げた。
「仕度、ですか? 何の……」
「決まっているじゃない、今から人間の部下を捕まえに行くのよ」
 やる気に満ちたレミリアを止めることは出来ず、ティアは仕方なくレミリアの言うとおりに準備をすることにした。

 ティアとレミリアは夜の幻想郷を、月明かりを頼りに村の方角へと飛んでいた。
「ねぇ、ティア」
 レミリアは下を見ながら疑問に思ったことを口にした。
「どうして誰もいないのかしら?」
「あのぉ、お嬢様。『今』という時間をお考えください。普通のヒトはこのような夜更けに起きていませんよ」
 夜という時間帯は人間だけでなく、多くの生き物が眠る時間である。誰もいないのは当然のことだった。
「あら、ティアは起きているじゃない。あなただってヒトでしょ?」
「そ、それはそうですが。わたしは夜型のヒトに変わったのです。例外なんですよ」
「草木も眠る何とやらってやつか」
「はい。今頃ヒトも妖怪も夢の中でしょうね」
 レミリアはチッと舌打ちをしてその場に留まった。
 レミリアの直ぐ後ろで止まったティアはすかさず一つの提案をした。
「あの、お嬢様。ここは一つ、立て札を立てる、というのはいかがでしょうか? これでしたら、逆にお嬢様がお休みになられている間でも呼びかけが出来ますよ?」
「立て札とは、また古典的なものを出してきたわね。ん〜、そうねぇ……今起きている希少なヤツを見つけるよりは、もっと多くの人間の目に留まる方法を取るほうが得策なのかもしれないわね」
 ティアは、思った以上の好感触だったことに満足した。しばらく考えたレミリアは、コクリと頷いた。
「じゃあ、ティア、帰ったらその準備をお願いね」
「はい、かしこまりました」
 そう言ってお辞儀をしたティアは、元々考えていた作戦が上手くいき、内心でホッとしていた。
「後はティアに任せるとして、そろそろ帰ろうかしらね」
「そうですね。お嬢様がお休みになられる前に立て札を作ってしまいたいですし」
 二人は日の出までにはほど遠い夜の空を、くるりと向き直って、紅魔館へ向かって飛んでいった。

「これでいかがでしょうか?」
 空が薄っすらと明るくなる頃、ティアは出来上がった立て札を持ってレミリアの寝室にやっていきていた。自分の背丈以上に大きい立て札を両手で抱え、満足そうな顔をしていた。
 レミリアは止まらないあくびを何度もしながらティアの立て札をじっと眺めた。
「ふぁ〜……うん、それでいいんじゃない?」
「そうですか、よかったです! お気に召さなかったらどうしようかと内心ドキドキしていたんですよ」
「ふふっ、立て札一つで大層なことね。ふぁ〜」
 もう限界だと思ったレミリアは目を擦りながらベッドへと進んだ。その様子を見てティアはハッとした。
「あ! も、申し訳ございません! もうお休みのお時間でしたね。それでは、お休みなさいませ!」
 ティアは早口でそう言うと、一礼して部屋を出て行った。もちろん、立て札は大事に抱えて。
「……そんなに立て札が気に入ったのかしら? ま、いいや。寝よう」
 レミリアは、ティアの嬉しそうな笑顔を少し思い浮かべて、眠りについた。
 部屋を後にしたティアは、
「ふぁ〜……ってお嬢様のあくびがうつっちゃったわ。ふふっ」
 懐中時計の針は午前6時を指し示していたが、まだまだ元気であった。
「それでも、少しは休んでおきたいから、早く立て札を立ててしまおうっと」
 そして、ティアは立て札を抱えて紅魔館を出て行った。向かう先はもちろん、村、である。

 それから一週間が過ぎた。

「ねぇ、これが立て札の効果なの?」
「そうですねぇ、まさかこれほどまでとは思っていませんでした」
 レミリアとティアは、視線をお互いの顔から前方へと向けた。そこには。
「妖精一匹すら来ないなんて、どういう訳かしら」
 つまり、二人の目の前には誰一人としていなかったのだ。
 ティアは頬に手を当てて考え込む。
「ん〜、おかしいですね。ちゃんと目立つところに立てたんですけどねぇ」
「どうするの? これではティアの負担が全然減らないわ!」
「お嬢様のお気持ちはこのクウィンティア・エルディーネ、痛いほど感じております。ですので、ご安心くださいませ」
「ですので、って……それじゃあ私の気が治まらないのよ」
「では、立て札は継続して立てておきましょう。もしかしたらこの後誰かがやってくるかもしれませんしね」
「……わかったわ。じゃあ、そうしましょう」
 ところが、その後も紅魔館のメイドとして働こうとするものは一人として現れなかったのであった。
 働くことを志願する者は現れないにもかかわらず、館に侵入してくる妖精たちの数が減少することはなかった。

 そんなある日のこと。

 何とかしてやりたいと思うレミリアは、考えに考えて一つの方法を思いついた。そして、早速自室にティアを呼びよせた。
「本日はいかがなさいました?」
「ティア、先の侵入者対策のことなんだけれど」
「はい」
「立て札は残念な結果が続いているけれど、今度は完璧な作戦よ!」
 レミリアは堂々として、思いついたアイデアを誇らしげに放った。
「名付けて、『紅魔生け捕り作戦』よ!」
「……はい?」
 まさかのレミリアのネーミングセンスに、ティアは素で聞き返してしまった。聞かれたレミリアは胸を反らし、大きく両手を広げてもう一度言った。
「だから、『紅魔、生け捕り、作戦』よ!」
 自分の聞き間違いであって欲しいと願っていたティアの思いもむなしく、ティアははぁ、とため息を付いた。そして、レミリアのアイデアにまずは賛成の意思を伝えた。
「お、おおよその内容はわかりました。要するに、侵入者である妖精を捕まえてそのままウチで働かせよう、というお考えなのですね?」
「そ、そのとおりよ! さすが、ティアね! 物分りがよくて助かるわ!」
 内心でホッとしつつ、ティアはレミリアに詳細を聞くことにした。
「しかして、その作戦の詳細をお聞かせいただけますか?」
「うん、これだけ沢山の妖精たちがこの館に侵入してきているのだから、捕まえるのは簡単なことだわ。問題は、捕まえてからこの館で働かせるようにするところね。あの気まぐれな妖精どもが果たしてここで働こうとするか、なのよ……」
「大丈夫でしょう。この作戦はきっと上手くいくと思いますわ。妖精でしたら、ちょっとしたうまい話をしてやれば、ひょいひょいと丸め込めることでしょう」
「じゃあ、早速今日からお願いするわね。そうだわ、期日を決めておくわ……では、10日後、捕まえた妖精を連れて私の部屋へ来るのよ」
「かしこまりました。では、そのときまで」
 ティアはレミリアにお辞儀をし、そして部屋から出て行った。

 レミリアの言う、『紅魔生け捕り作戦』は見事大ヒットした。
「こんなに簡単だとは……」
 妖精たちを捕まえているティアは、その作戦の威力の凄さに驚くしかなかった。
 なんと、一日10匹の妖精を確保できたのである。
「素晴らしいわ、ティア。こんなに集められるだなんて」
「はい、ありがとうございます」
 紅魔館最大の部屋、レミリアの私室にずらっと並んだ妖精の数は100匹。その真ん中、先頭にいるのがティアだった。
 レミリアはその並んだ妖精たちをじ〜っと見詰めた。果たして、この紅魔館を支える一本の柱となりえるのか、と。
「ふん、問題なさそうね。ご苦労様、ティア」
「いえ、もったいないお言葉ですわ」
「フフ、これもあなたの話術のたまものなのかもね」
「!!」
 レミリアのニヤリと笑う顔を見てティアは、ここで初めて、レミリアに試されていたことに気付いた。実益を兼ねた訓練とでもいうのだろうか。つくづく頭の上がらない思いだった。
「では、ティア、ただいまを以って、紅魔館メイド長の任を命ずる」
「はい、よろこんでお引き受けいたします」

 かくして、紅魔館では、メイド長ティアを筆頭に、メイドたちが一日中働きまわることとなった。それは、レミリアが起きているときも、もちろん、寝ているときもである。

  …………

「? おかしいですね、これ」
「何が?」
 咲夜は、日記のおよそ三分の二を読み終えたところで、首を捻った。側で本を読んでいたパチュリーも、咲夜の声に反応した。
「メイドですよ。わたしがここに来た時、昔からメイドをやっているものもいましたが、そのものから先代の話を一言も聞いていませんもの」
「それで?」
「彼女たちの寿命を考えても、一人として先代のことを知らないなんて、おかしいですよ」
 咲夜の指摘にパチュリーは、眠たげな目を少し擦って、昔を思い出そうと天上を見上げた。
「確かにそうね。私がこの紅魔館に来た時も、当時を知る者はいなかったものね」
 わかっていながら知らない素振りを見せ、パチュリーは咲夜の話に合わせていた。
「もしかしたら、パチュリー様がいらっしゃる前に何か事件でもあったのかもしれませんね」
 するどい、というよりは必然的にそう疑いたくなることに対して、パチュリーは一言だけ返した。
「先を読めば、わかるかもね」
「そうですね。きっと、何かが書かれているに違いありません」
「……」
 咲夜は再び日記に目を落とした。

 その先に待つ一つの結末。その時は刻一刻と近づいてきている。

  第四章 紅魔館メイド事情 終わり




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