東方紅月歌
 -The Fragments of Sealed Memory- 


第五章 吸血鬼夜行 

 紅魔館日記 ○X△▲年○▲月○■日

 今日は本当に特別な日だった。

 わたしが幻想郷という世界の住人となってから早いことに一年を過ぎようとしている。

 思えば長いようで、短いようで。何とも不思議な時間を過ごしてきたものだ。

 お嬢様と過ごしてきたこの一年を振り返るには最適な場所だった。

 今日の光景は、一生忘れられないだろう……



 秋は『いつから』と『いつまで』の境界が薄い。しかし、ここ幻想郷には秋を告げる妖精たちがいる。これは、境界を明確にするために誰かが仕組んだとか、いないとか。
 だがこれ以外にも一般的な区別が出来ないわけではなかった。
秋は夏に比べて夜が長い。そのためか、妖怪たちもいつもより長い時間跋扈しているようだった。そして、紅魔館に棲む者たちにとっても、秋は夜を楽しむには格好の季節だった。
 紅魔館の主であるレミリアは吸血鬼である。当然のことながら夜行性であるので、レミリアは夜が長くなる秋が好きだった。
 窓際の椅子に座り、ティーカップに映る月を見ながら、側に控えるティアにレミリアは言った。
「ねぇ、ティア。一緒に夜の散歩にでも出掛けてみない?」
 ティアはレミリアのティーカップに映る月を見て頷いた。
「いいですね。今晩は月も出ていますし、楽しめそうですね」
 レミリアはティアの返事を聞くや否や、カップをテーブルに置き、窓をバンと開いた。秋の涼しい風が室内に吹き込み、テーブルに置かれた一輪挿しがゆらゆらと揺れた。
「じゃ、すぐに出るわよ? 長くなったといってもまだまだ秋口なんだから」
「かしこまりました。では準備を済ませましたら、すぐにでも」
 レミリアは、お辞儀をして部屋を出ようとしているティアへとくるりと振り向き、
「いいえ。準備なんて必要ないわ。今すぐ行くのよ。秋とは言え、まだまだ短い方なんだから」
 手を振って拒否を示したのだった。だが、レミリアの言葉に振り返ったティアはニコリと笑って軽く首を傾げた。
「あら? 折角お散歩するのですから、お茶のご用意でもしようかと思いましたが、いりませんでしたか?」
 ティアの一言にピクッと肩を震わせて俯くと、
「……そうね、それもいいかもしれない」
 ボソッと呟くような反応をするのだった。
「え?」
「それもいいかもしれないって言ったのよ! わかったらさっさと支度をしなさい! グズグズするのは嫌いなの!」
「ふふふ、では、5分でご用意しますので」
 そう言ってきっかり5分で準備を済ませてきたティアに満足したレミリアは、黒く大きな翼を広げて飛び立ち、くるっと紅魔館上空を旋回しながらティアが来るのを待った。
「ねぇ、遅いわ。もっと速く飛べないの?」
「無茶ですよ。この荷物を持つだけでなく、お嬢様の速さについていくなんて!」
「荷物はティアの責任よ。紅茶の用意なんて言うから」
「またまた、お嬢様。お飲みになりたいから準備の時間を下さったのでは?」
「ティアも言うようになったわね」
「ふふふ、もう、1年ですから」

 月夜に浮かぶ二つの影。一つの周りをもう一つがからかうように飛ぶ姿は、それらに主従関係があるとはとても思えない。まして、飛び回る側が主だとは誰も思わないだろう。
 主は主として、従者は従者としての立場を保ちながらも、いつしか主従という形は、分かり合える姉妹のようになっていた。これもまたどちらが、という疑問はあるのだが。

 二人は空に浮かぶ月を眺めながら、秋の夜空を飛んでいた。
「今日が満月だったら、もっとおもしろいのにねぇ」
「いえいえ、わたしはちっともおもしろくありませんよ。満月は危険です」
「そうかしら。力がみなぎってくる感じが堪らないじゃない?」
「じゃない? じゃないですよ。第一わたしは人間なんですから」
「なら、あなたもわたしの真のしもべになる?」
 すぅっとティアに近づいたレミリアは、ティアの肩に手を添え、あとほんの少し動けば触れ合うくらいにまで顔を近づけた。両の目を閉じ、あのサインであることを示していた。
 だが、レミリアの気持ちはティアには届かなかった。二人の顔の間に挟まる人差し指。それがティアの答えであることはレミリアにもすぐにわかった。
 レミリアはティアから少し離れ、あからさまな落胆を示した。
「やっぱり、私との真なる契約は出来ないのね……」
「申し訳ありません、お嬢様。私は最後まで『人』でありたいんです。どうか、わがままをお許し下さい」
 ティアはレミリアに向って頭を下げた。
 人として産まれてきた以上、最後まで人でありたい。その気持ちはティアの心の中に変わらずにあった。
「ふふっ、いいのよ。ティアは出会ったときから人間でありたいと強く願っていたものね」
「……」
「今すぐにティアがいなくなるわけじゃないんだし。あなたの気が変わるのを待つことにしましょう」
「お嬢様……」
後ろ手を組み、背を向けて空を歩くレミリアに、ティアは改めて一礼をした。それでも依然として変わらない気持ちを胸に秘めて。

二人はとある神社の屋根の上にいた。名を博麗神社と言い、幻想郷にいるものなら知らないものはいないであろう、あの博麗大結界を支える神社である。何故二人がそこにいるかというと、ただ休憩するのにちょうどいい場所だったからだった。
「お嬢様、どうぞ」
「うん」
 ゆらりと湯気の立つ紅茶を一口含む。紅茶の温かさが全身に行き渡ってゆく感じが堪らない。まだ季節は秋になったばかりだが、夜は既に体が冷えるくらいに寒くなっていた。
「ふー、温まるわね。まだまだ昼間は暑いのに、どうしてこんなに夜は寒いのかしら」
「それが、夏から冬へ移る間に存在する秋の役割なんですよ、きっと」
「ふーん、そういうものかしらね」
 ティアもレミリアの隣で紅茶を一口含み、ふぅ、と一息ついた。
「そういうものですよ、きっと」
 月はなおも二人を照らし続けていた。雲一つない澄み渡った夜空から降り注ぐ月光は、お互いの顔がはっきりとわかるくらいに明るかった。
「うん、我ながら美味しい紅茶です」
 今日は満月ではないのでこうしてのんびりとお茶を楽しめた。だが、次の満月は中秋の名月と呼ばれる絶好の月見日和なので、レミリアが大人しくしているはずがない。きっと今日みたいに散歩と称して夜の空を自由に飛び回るのだろう。ティアはそう思いながら、紅茶をもう一口含むのだった。

「さ、そろそろ行くわよ?」
「はい、ただいま」
 レミリアは立ち上がると、ぐ〜っと伸びをした。冷えた体もお茶のお陰で少しはぬくもりを取り戻したように感じられた。
「お茶、ごちそうさまね」
「いえ、こちらこそ。素敵な場所へご招待くださり、ありがとうございました」
「こんな神社の屋根の上が? まぁ、喜んでくれたのなら、悪くなかったということかしらね」
「お嬢様。お礼と言ってはなんですが」
「ん? 何かしら?」
「ちょっとついて来ていただけませんか?」
「え、えぇ。いいわよ?」
ティアはさっと紅茶セットを片付けると、レミリアを連れて神社を後にした。
 向かう先は、紅魔館、の側にある湖だった。
「き、綺麗……!!」
「うふふ、私のとっておきの場所なんですよ」
 ここは湖岸。紅魔館の側にある湖の、館の反対側に位置する岸辺。そう、ここはかつて、ティアが幻想郷の住人となったときに初めて紅魔館を見つけた、あの場所であった。
 月明かりに照らされた紅魔館は紅い壁に淡い白を纏い、一層荘厳に見えた。また、見える景色には月が二つあった。湖に映る空の月、もう一つは空に映る湖の月。どちらも本物のように白く輝き、そしてまだ満ちきっていない月が互いを照らし合っていた。
 レミリアは暫くの間言葉を失っていた。自分の居城がこの素晴らしい景色の一役を担い、しかも、こんなに近いところで見ることが出来るとは思ってもいなかったのだった。
「いかがです? 紅魔館がこれほど綺麗に見える場所はなかなかありませんよ?」
「えぇ、素敵だわ……今の今まで、しかもこんなに近くに素敵な場所があることに気付かなかったなんて……どうして今日のこの日に教えてくれたの?」
「今日は……特別な日ですから……」
「??」
「お嬢様、覚えておいでですか? 私が貴女の元を訪れた日のことを」
「!!……そう、今日はその日だったのね……えぇ、今でも鮮明に思い出せるわ。私にお礼を言いたいがために紅魔館に入ってきて、そして私の願いを叶えた。あのときのあなたの血の味、とってもおいしかったわよ」
 レミリアは人差し指を唇に当てて片目を瞑ってみせた。長年生きてきたとはいえ、まだまだ容姿は幼いレミリアの仕草はとても可愛らしかった。しかも、今日のこの景色がレミリアをさらに引き立てていた。月の光に照らされた、幼き紅い悪魔。今のレミリアに敵うものはいないだろう、そう思えるくらいに映えて見えた。
「あの血の契約があったからこそ、今の私たちがあるんですよね。まさに運命の出会いだったわけですか……」
「ふふふ、運命、ね」
 二人を導いた運命の糸は、契約という結びでもって今もしっかりと二人を繋いでいる。互いの意思がその結びをより強固にし、もはや二人を引き離せるものはいないくらいにまでなっていた。もしも離れてしまうことがあるならば、それもまた避けられぬ運命によるものであろう。
「ねぇ、お茶、頂けるかしら?」
「はい、ただいま」
 ティアが見つけてくれた最高の景色を目の前にして飲む紅茶はまた格別であった。月見酒とはよく聞くが、月をお茶に浮かべて飲むのもまた月の力を取り入れられそうな気がして、何だか気分が良かった。
「ティアも頂いたら? 今なら三つの月を楽しめるわよ?」
「ありがとうございます。あぁ、なるほど、お茶に浮かべて三つですか。では、いただきます」
 三つ目の月は紅い月。この月を飲むことで、レミリアを一層身近に感じられるような気がするティアであった。
「ふー、ごちそうさま。じゃ、そろそろ帰りましょ。ほら、月も大分傾いてきてしまったわ」
「そうですね。温まったとはいえ、夜風に当たり過ぎるのはよくありませんし」
 ティアは再びお茶セットを片付けると、レミリアの後を追いかけるようにその場を飛び去った。

 温まった体は、紅魔館に戻る頃にはすっかり冷え切ってしまっていた。秋の夜長を外で楽しめるのもそう長くはないようだ、と感じるティアであった。これもレミリアの体を案じるが故の気配りである。レミリアはこれを単なるお節介と受け取るかもしれないが。
「お嬢様、お茶が入りました」
「ありがとう。あと、今日は素敵な景色を見せてくれたことにもね」
「いえ、こちらこそ。ご一緒させていただいた、そのお礼ですよ」
「うん。また一緒に散歩に行きたいわね。次はどんなお礼が待っているのかしら。ウフフ……」
「そんな、無茶ですよ……」
 レミリアはクスクスと笑いながら紅茶のカップをテーブルに戻した。ティアは苦笑いのままカップをテーブルからさげた。
「あら? そろそろおやすみのお時間ですね」
「もう? ま、今日は楽しかったし、楽しいうちに休もうかしら」
 レミリアはティアに手伝ってもらいながら着替えを済ませると、天蓋つきの豪奢なベッドに潜り込んだ。
「では、安らかなる眠りが訪れますよう……」
 ティアはそう言うと、いつもの歌を歌った。
 静かな紅魔館に優雅なメロディーが響き渡った。館全体を包み込むような歌声は、聴くもの全てを安らかな眠りへと誘っていった。
 今日という日をそれぞれの記憶に封印する為に。
 明日という未来の封印を解き放つ為に。

「おやすみなさいませ……お嬢様」



「あの場所は、実はティア様の思い出の場所だったのですね」
 咲夜は何度かレミリアに連れられて行った、湖の岸辺を思い出していた。
「私はずいぶんと長い間外に出ていないから知らないけど」
「パチュリー様は外出なさらなさ過ぎです……」
「ふふ、どうりで夜の散歩の帰りが遅いときがあると思っていたんだけど、そんなところに行っていたのね」
 パチュリーは一人納得して、うんうんと頷いた。
「えぇ、わたしもよく行くあの場所について、気にはなっていたんですけれど、お嬢様は、良い眺めでしょ? としか仰らなくて……」
「フフフ、レミィらしいわね」
「今度あの場所へ行ったときに、ティア様のお話をお聞きしたいものですわ」
「……さぁ、どうかしらね」
「??」
 またしても曖昧な返事かしないパチュリーの態度に、咲夜は何か嫌な予感がした。自分の知らない、ティアの行く末について。
「パチュリー様? 何か、わたしに隠していらっしゃいませんか?」
「ん? 何も隠し事をすることなどないわ」
 本に顔を埋めたまま返事をするパチュリーを見て、咲夜は自分の予感はおそらく的中しているのであろうと思った。

 ティアはこれからどうなるのか、何故、今までレミリアはティアについて話そうとしなかったのか。
 それは、これから先を読めばわかるだろう。
 咲夜はパチュリーを気にしつつも、ページを繰り始めた。
 
 第五章 吸血鬼夜行 終わり




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つづきを読みます 第六章

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