東方紅月歌
 -The Fragments of Sealed Memory- 


プロローグ

 幻想郷には一軒の洋館がそびえ立っている。
 その洋館は何処か周りとは異質な雰囲気を漂わせていた。幻想郷全体がオリエンタルな色をしているにもかかわらず、その洋風な館はその存在を知らしめるかのように、血に染まったような紅い色をしていた。
 異質なのは館だけではない。そこに棲む者は、人ならざる、魔。

 幻想郷では、人は、妖怪は、その館を『紅魔館』と呼んでいた。

 …………

「ん?何かしら?この本」
 紅魔館の地下に構える大図書館を一人歩くメイドは、図書館の主にお茶を持っていく途中で、とある一冊の本に目を留めた。
 何故目に留まったのか?この本棚のしかもこの一冊に。
 メイドの格好をした少女、十六夜咲夜は紅茶のセットを乗せたプレートを片手へ移し、本棚から目に留まった本をさっと取り出した。
「どれどれ…… あら、日記なのね。しかもウチの館のだわ」
 取り出した表紙にはこう書かれていた。

 紅魔館日記 Since______ E.Q.

 表紙カバーの破れ具合、中身の黄ばみ具合から察するに、相当年季の入った代物であることがわかった。そこから、おそらくこれは紅魔館が幻想郷に現れて間もない頃に書かれたものではないか、と咲夜は推測した。なぜなら、この日記があった棚には古い書物ばかりが集められていたからに他ならない。
 いざ中身を見ようとして、はたと気付いた。自分のもう一方の片手には今だ湯気のたつ紅茶が入ったティーセットがあることを。
「はぁ、仕方ないわ。中身は後で見ることにしましょう。早くしないとパチュリー様に怒られてしまうわ。でも、E.Q.?」
 見つけた日記に書かれていた、イニシャルであろう二文字、『E』と『Q』。紅魔館に住まう面子をパッと考えてみるが、一致する者は当然一人としていなかった。
(こうなったら知識人さまに聞いてみましょう。きっと何かご存知のはずだわ)
 そうと決まれば善は急げ。咲夜は腋に日記を挟むと、図書館の主であるパチュリー・ノーレッジの書斎を目指して消えた。

 図書館の奥では、いつものように分厚い本を広げ、食い入るように読み進めているパチュリーの姿があった。紅茶のセットを持って現れた咲夜に気付きながらも無視し続け、彼女は本を読み進める。咲夜もそんなパチュリーに構わずテーブルに紅茶を置くと、腋に挟んでいた本を取り出し、パチュリーの目の届くところに置いた。
「あの、パチュリー様。この日記について何かご存じではないですか?」
「えぇ?日記?さぁ、知らないわ…………って!これっ!どこにあったのっ!?」
 咲夜が持ってきた古びた日記を見て、パチュリーは大いに驚いた。一方で、あまりのパチュリーの食いつきぶりに、逆に咲夜が驚いてしまっていた。
「パ、パチュリー様は、この日記のことをやはりご存知なのですね?」
「えぇ、以前レミィに少し聞いただけだけれどね。かつてこの紅魔館には、あなたみたいなメイドが一人だけいて日記を書いていたそうよ。でも、

その人物がどういった娘なのか、いつ頃いたのか。

 レミィはそれ以上何も話してくれなかったわ……」
「へぇ、レミリアお嬢様でもお話になられないことってあるのですね」
「ふふふ、当たり前でしょう?誰だって秘密の一つや二つ、持っているものだわ」
「そうですわよね」
「そうよ。でも、これで少しはわかるかもね、ふふっ」
 レミリアから聞きだすことが出来ず、結局分からずじまいだったので、パチュリーはこれを紅魔館のn大不思議に指定していた。しかし、今その謎が解けようとしている。パチュリーはいても経ってもいられず、読んでいた本をテーブルに置いて日記に持ち替えると、一気にページを捲っていった。
「ふむ、ふむ、あ〜、そういうことだったのね。……えっ?そうだったの?じゃあ、……」

 一人日記の世界へと旅立っていったパチュリーを見送る咲夜。
(こうなってしまったパチュリー様に話しかけるのはそれこそロイヤルフレア級にヤバイことだわ。仕方がないわね、しばらく待つとしますか)
 咲夜はパチュリーが日記の世界から帰ってくるまでの間、メイドとしての職務に戻ることにした。

 掃除を終えて、洗濯をして、夕食の下準備が終わってなお待つこと1時間。
「ふ〜、読み終わったわよ?咲夜」
「まぁ、長かったですわね。パチュリー様ですら読み終えるためにそれくらいの時間を費やされるのですから、きっとその日記を書いた方は長い間ここで勤めておられたのですね」
「……そう、ね」
「?」
 咲夜はやや言い渋るパチュリーを不思議に思いながらも、まだ見ぬ日記の気になる内容について尋ねた。
「で、何かお分かりになりましたか?」
「ええ。やはりこれは過去にたった一人、レミィに仕えていたといわれるメイドが残した日記だったわ。ここにはレミィとの出会いから、そう、別れる間際までが綴られていたわね」
 全てを知り尽くしたパチュリーは、咲夜をじっと見つめ、尋ねた。
「ねぇ、聞きたい?」
「……」
 咲夜は昔の紅魔館にメイドがいたということを当然知らない。でもこれをきっかけに自分の知らないレミリアを垣間見ることができるかもしれない。そして、今後のレミリアへの対応の参考になるかもしれないと考える。
「ええ、聞きたいですわ」
 咲夜はパチュリーの側まで近づき、後ろから覗くようにして日記を見た。パチュリーはその視線を感じながら、ふふふ、と笑うと、パラパラと日記を捲っていった。


――今から遡ること数百年前。これは、まだ紅魔館が幻想郷へとやってきて間もないころの話である――

「くっ!これ以上下がっては! ……せめてお嬢様だけでも!」
「あははは……」

 真紅に染まる紅魔館の廊下、壁、窓。そして空気までもが紅く染まっている館の中では、とある"少女"と対峙するメイドが一人いた。
 汗が頬を伝う。メイドは袖でぐっと汗を拭うと、やや埃で汚れた白地のエプロンポケットに入った一枚のカードを握り締めた。
  最後にとっておいた隠しスペルカード(ラストワード)。万が一、いや、百万が一のときでなければ使うまいと決めていた切り札。
  "運命"を操ることができるレミリアならば、今この瞬間からカードを使わない未来を切り開くことができたのかも知れない。しかし、そのレミリアは、自分の"運命"すら変えることができずにメイドの側で横たわっていた。息はしているものの、淡いピンク色のドレスは裂け、そこからは赤く染まったレミリアの、かつて白かった肌が見えていた。

 時は待ってはくれない。

 一刻を争うまでに切羽詰まった状況の中、彼女はレミリアに最期の奉仕をするべく、レミリアをそっと壁にもたれかけるように寝かせた。
「あなた様はわたくしがお守りしてみせます。 ……おやすみなさいませ、お嬢様。あなた様にこれからも安らかなる眠りが訪れますよう……」
 軽くお辞儀をし、後ろを振り返った。その顔にはレミリアへと向けられていた柔らかい笑顔はもう、ない。
「さあ、参りましょうか。わたしが、この『クウィンティア・エルディーネ』が、あなた様に最期の、永久(とわ)の安らぎを与えて差し上げましょう」
 クウィンティア・エルディーネと名乗るメイドは七色の光を纏った紅い赤をつれて紅魔館の地下へと消えていった。

しばらくすると、優雅で清らかな歌声が紅魔館を包み始めた。そして歌声は次第に小さく、弱くなっていった。それは、まるで歌声とともに歌い手の意識そのものが希薄なものになっていくようであった。
 歌声が完全に聞こえなくなり、今度は静寂が紅魔館を支配していった。今だ横たわる、安らかな顔をしたレミリア一人を残して。
 そう、紅魔館は今、彼女の安らぎの中にあるのである。誰かが開放する、その時まで。


「……だそうよ」
 ふぅ、と一息吐くと、パチュリーはテーブルに日記を置いた。しかし、咲夜は納得がいかない。
「あのぅ、パチュリー様? なぜ、最後の最後しか仰ってくださらないのですか?しかも、その話って、そのメイドが日記に書くことができないように思われるのですが」
 咲夜が感じた疑問に対してパチュリーはニタリと笑った。咲夜にはその笑顔が何を意味しているのか分からなかった。
「あのね、咲夜。日記っていうのは、読んで、そこからどんどん話を膨らませることができるものなのよ。当然、この日記も例に漏れることはなかったわ。だから、私の記憶とこの日記の内容を合わせれば最後は想像が付くってものよ。でも、さすがにそれ以前のことはわからないんだけれど」
「……な、何だかすごいのかすごくないのか。まぁ、折角ですから一度読ませていただいてよろしいですか?」
 パチュリーはもう日記を見る気が無くなくなったらしく、日記よりも最初に読んでいた分厚い本に夢中の様子であった。本に視線をやりながら、片手をプラプラと振って見せた。
「……いいわよ。もうすでに私の中では話が出来上がっているから」
「そ、そうなんですか。あ、ありがとうございます。では、早速拝見させていただきましょうか」
 表紙を捲って早々、咲夜はまず日付に驚いた。
「んー、こんなに昔の日記が残っているなんて……」

 咲夜は日記の初日から読み始めた。ページ数からして一年以上は書かれているであろう、まだ見ぬ過去の紅魔館への第一歩を踏み出したのだった。


プロローグ 了




東方紅月歌 目次 へ帰ります
つづきを読みます 第一章

このページのトップへジャンプしま〜す
inserted by FC2 system