東方紅月歌
 -The Fragments of Sealed Memory- 


最終章 封印 

 これが、わたしのすべて。
 これが、わたしのすべて。
 これが、わたしが生きてきた証となるならば……
 
 ありがとう、そして。

 さようなら

 …………

「!!!」
「んあっ!? なんですって!!」
 レミリアが妖精に起こされたのは、大型妖怪が地下室へと潜り、そして消えてから十分後のことだった。突如として開かれた扉の音で目覚めると、埃だらけの妖精の言葉を聞くや否や、朝方であるにもかかわらず全身の眠気が吹き飛んでいた。
「あぁ〜、ティア。やってしまったのね……」
 ちょっと考えた後、レミリアは、よし、と言ってベッドから降りた。
「仕方がないわ。ちょっと着替えるから、手伝いなさい!」
「!!」
 妖精メイドはクローゼットに駆け寄り、レミリアのドレスを取り出した。妖精が持って来るまでの間、レミリアは、これから間違いなく起こるであろう戦いについて考えていた。
 レミリアはドレスを受け取ると、スルリと着替え、キュッとリボンを結んだ。いつもはティアに手伝ってもらっていたが、今日はそのティアがいない。久々に一人での着替えが、何だか懐かしくもあり、寂しくもあった。
「よし、この格好でないとあの子とはやり合えないしね。さ、おまえも付いてきなさい」「!!!」
 レミリアと妖精は駆け足で寝室を出て行った。
「ティア、無事でいてよ!!」

 レミリアと妖精が寝室を出たころ、地下室では、ティアがようやく意識を取り戻したところだった。そして、ティアの体は傷だらけで、メイドドレスのあちらこちらには血が滲んでいた。
「う、うぅ……な、何とか、生きているみたいね……」
 ガレキに預けていた背中の痛みを堪えて立ち上がり、辺りを見回すと、そこには燭台の明かりに照らされたガレキの山があるだけだった。妖精メイドも、『フランドール・スカーレット』の姿も今はない。
「あの妹様は危険すぎる! 早くお嬢様の元へ行かないと――うぐっ!」
 ティアは歩こうとしてすぐに激痛に襲われてうずくまってしまった。立ち上がれたので大丈夫かと思われたが、全身に受けた傷は想像以上だった。苦痛に歪むティアの表情が、そのダメージ量を物語っていた。
「こ、これしきの痛みで……はぁ、はぁ、立ち止まっているわけには、いかないのよっ!」
 ティアは力を解放し、傷と痛みを和らげた。そして、再び立ち上がる。
「こんなところでこの力が役立つなんてね」
 ティアは燭台の明かりを、かろうじて難を逃れていたランプに移し、長い階段を駆け上がった。
「お嬢様、今行きます!」

 ティアが階段を駆け上がり始めたころ。フランドールはロビーに出ていた。
「ん、ん〜〜、はぁっ!」
 ぐっと腕を伸ばし、そしてだらりと降ろす。フランドールは、このような動き一つ一つに感激を覚えていた。
「そう言えば、こんなこと実に四百年ぶりくらいなんじゃないかしら? そう、確かお姉さまに閉じ込められる前ね」
 人差し指を口にくわえて少し首を傾げる。見た目は可愛らしく見える仕草であっても、周りに出来ている大きな血溜まりが、フランドールをただの幼い女の子には見せていなかった。
「……あ〜あ、外に出たらおもちゃがいっぱいだと思ったのに。これじゃぜっんぜん面白くないじゃないっ!」
 ギロッと周りにいる妖精メイドたちを睨みつける顔は、何故か笑顔だった。
 ――狂っている――
 妖精たちが言葉を操ることが出来たなら、皆がそう言ったであろう。フランドールの顔には狂気を孕んだ笑みがあった。
「さぁ、かかってきなさいよ。あなたたちみたいな動くおもちゃが欲しかったんだもん」
 もはやそう言われて立ち向かえる妖精メイドは誰一人としていなかった。百名近い妖精メイドたちも今では十匹しか立っていなかった。他の者は皆先の大型妖怪とフランドールによって撃ち落されて戦闘不能に陥っていた。
 残っている妖精たちも、ただ何も出来なくてここに留まっているわけではなかった。彼女たちは今、ある『一つの教え』を忠実に守っているのである。
 それは――

「いい? わたしがいないときに侵入者が入ってきたときは、まず一人で立ち向かわないこと。複数で攻撃し、混乱させながら戦うこと。それと、太刀打ちできない強敵なら、お嬢様、あるいはわたしを呼び、敵をその場に留まらせること。最後に。命は粗末にしないこと。いいわね?」

 メイド長であるティアの言葉を思い返し、それを実行中なのである。
「あぁ〜あ、つまんないの〜! そんなにわたしと遊びたくないの〜? だったら――」
 フランドールは七色の翼をわさわさと羽ばたかせ、指をポキポキと鳴らす。そして、右手を前に突き出した。
「こっちから、やっちゃうよ?」
 ボゥッ! という音を出して現れたのは、やや歪んだ一本の杖だった。フランドールの手に納まった黒く煤けたような杖は、やがてじわりとその色を黒から赤へと変えていった。そして、全体が赤くなったとき、フランドールの妖力に呼応するかのように杖の先から炎が噴き出した。まるで地獄の火炎を召喚したかのように渦巻く炎は、フランドールの背丈をはるかに越える長さとなっていた。フランドールはそれを軽々と振り回し、久々に召喚した炎を嬉しそうに眺めた。
「フフフ、変わらず良い炎だわ。何もかもを焼き尽くす死の炎。『レーヴァテイン』の復活よ!」
 フランドールはレーヴァテインを掲げ、ブワリと振り下ろす。振り下ろされたことによる熱波が妖精たちの皮膚をチリチリと焦がした。
「さぁて、この『レーヴァテイン』で何して遊ぼっか? フランはねぇ、これでボールを打ってみたいなぁ……こ〜んな風にねっ!」
 フランは杖を両手で握り締め、灼熱の炎を横薙ぎに振り切った。長く伸びた炎の杖は大きくしなりながら妖精たちに迫る。
「ん?」
 振り切ってから、「ナイススウィング!」という言葉を叫ぼうとして、フランは途中で止まったレーヴァテインを不思議そうに見つめた。
「はぁ、早速こんな危なっかしいことをやらかすとは……我が"妹"ながら情けないねぇ」
「そ、その声は!」
「ふふっ、久しぶりね、フランドール」
「お姉さま!!」
 レーヴァテインと妖精たちの間には、左手一本でレーヴァテインを受け止めるレミリアがいた。左手は炎に包まれていたが、それを気にする様子も無く、レミリアは妖精たちが無事であることを確かめていた。
 妖精たちはレミリアにお辞儀をしてからその場を離れ、安全と思われる距離を取った。
「お姉さま! 会いたかったよ!」
 フランは満面の笑みを浮かべて、久方ぶりのレミリアを目に焼き付ける。すでにレミリアに対する積年の恨みなどどこかに吹き飛んでしまっていた。
「フラン、まずはこの炎を鎮めなさい。話しはそれからよ」
「あっ、うん」
 フランはレミリアに言われたとおり、直ぐにレーヴァテインをブレイクさせた。吹き荒れていた炎は一気に霧散し、残った熱がその余韻となってレミリアの髪をチリッと焦がした。
 レミリアは黒く焦げた腕を修復しながら、フランに歩み寄った。対してフランは杖をポイと捨ててレミリアに駆け寄り、ギュッと抱きついた。
「お姉さま!」
 レミリアは、抱きつくフランの黄金色をした髪をそっと撫でつけた。リボンで纏めた髪がレミリアの手櫛を抜けてさらりと流れた。
「会いたかったよ!」
「ごめんなさいね、フラン。長い間辛い思いをさせてしまって……」
「ううん。もういいの。だって、もうこれからはお姉さまと一緒に暮らせるんでしょ?」
「それは……」
「だって、あの人間が封印を弱めてくれたんだよ? あれってお姉さまの命令でさせたんでしょ?」
「いや、だから――」
「あれって、もうわたしたちの側なんでしょ? だったら問題ないわ。そう簡単に死ぬことはないんだから」
「!!」
 レミリアは遮ろうとして失敗しているうちに、大変なことを聞いてしまった。驚き、慌ててフランに問い質した。
「ちょっと、フラン! あなた、ティアをどうしたの?」
 フランは慌てるレミリアの様子に首を傾げながら答えた。
「ん? ティア? ひょっとしてアレのこと? アレなら――」
「ティアは……あの娘はまだ完全な人間よ。眷属になっていなければ、私たち吸血鬼とも違う。あなた、また……」
 フランは、レミリアの悲しみに満ち始めた顔を見て、大いに焦った。『また』という言葉が忌まわしき過去の出来事を脳裏に過ぎらせた。
「ち、違うよ! わたしは何もやってない! まだちゃんと息をしていたもの! だから、ち、ちょっと放り投げただけだもんっ!」
 レミリアは、はぁ、とため息をついた。そのため息を聞いて、フランは一歩、一歩と後ずさりした。
「フラン、やっぱりまだ出るべきではなかったようね……」
 予想通りの言葉に、フランはわなわなと肩を震わせた。
「イヤ! もうイヤよ! あんなところにまた閉じ込められるなんて! お姉さまの傍にいたい! フラン、何でも言うこと聞くから! 良い子にするから! だから、お姉さまと一緒にいたいの!」
「フラン、分かってちょうだい。これはあなたのためなのよ。もう少し落ち着きが出てきたら、出してあげるから」
「ヤッ! フランはここにいるもん! ずっとお姉さまと一緒にここにいるんだからっ!!」
 フランは力いっぱい叫んだ。すると、赤、紫、藍色の弾が、レミリアを囲うようにして大量に現れた。
(クランベリートラップ……)
 レミリアはその見たことのある弾の様子から、それが、かつてフランが初めてスペルカードを発動できたときのものと同じであるとわかった。つまり、フランはカードを使うことなくトラップを発動できるようになるまで成長していたのである。
「フラン、収めなさい」
「お姉さまはフランのことなんか嫌いなんでしょ? だから、あんなところに閉じ込めちゃうんだよね? だったらさ……フランもお姉さまのこと、嫌いになってあげる!!」
 レミリアの制止など聞く耳持たずで、フランは右手を振り上げ、クランベリートラップを起動させた。無数の弾がレミリア目掛けて飛び掛った。レミリアはそれらをひらりと避けつつ、次に来る第二波に注意を払っていた。
 案の定、第二波が現れ、第一波と同じくしてレミリア目掛けて飛び出した。レミリアは先程と何一つ変わらず、右へ左へと弾を軽々と避けて見せた。
「フラン、私にはこの程度の弾幕では効かないわよ? さぁ、収めなさい」
「わたしがお姉さまを嫌いになって、お姉さまを徹底的に壊してあげるの。そうすれば、わたしは地上に出られる。お姉さまの傍にいられる! そうよ、そうすればいいのよ……フフフ、アハハハハハハハッ!!」
(はぁ、やはり、まだ早かったか)
 レミリアはフランの言葉、仕草を前にしてため息が漏れた。そして、決意の下、フランに一つの宣告を放った。
「……わかったわ、フラン」
「! じゃあ――」
「あなたをここで、もう一度地下室送りにするわ」
「なんで……? なんでそんなに、そんなにわたしの事が嫌いなの?」
「そうじゃないわ。好きだからこそ、大切に思っているからこそ、あなたを今は閉じ込めておかなければならないのよ」
「わからない……お姉さまが考えていること、わかんないよっ!」
 フランの叫びに呼応して、クランベリートラップが再び発動した。そして、赤く丸い弾がレミリアに向って迫り始めた。
 レミリアは迫る弾を一つ一つ正確にかわしていった。まるで弾幕とダンスをするかのように、優雅に、そして、軽やかに。
 それでもクランベリートラップは止まることなく、その実を膨らませ、弾け飛んだ。だが、レミリアには当たるどころか、ドレスにかすることすらなかった。
 こうしてクランベリートラップはレミリアを一度も捕らえることなく終末を迎えた。
「……」
「……」
 スペルブレイク後のロビーには、久方ぶりの静寂が広がっていた。
 レミリアとフランの二人ともが一歩も動くことなく無表情のまま立っていた。
 表情を無にして感情を制御できれば、表情一つから心の動きを推測されることもない。これは、自分の感情から相手を優位に立たせないための戦略の一つであった。
 やがて静寂の均衡を破ったたのは、フランだった。ニヤリと笑い、右手を振り上げる。
「さぁて、今度はこれよ!」
 フランが叫ぶと同時に、今度は緑の弾幕が碁盤の目のように展開された。
(これは……見たことが無いスペルだわ)
 レミリアは無表情で覆い隠した内心で呟き、スペルの特性を見破ろうとフランとその周りを見回した。と、そのときである。
「か〜ごめ、か〜ご〜め〜」
「?」
 フランが『かごめかごめ』を唄いはじめたのだった。レミリアはこの唄の意味するところがわからず、ただ回りに張り巡らされた弾幕に注意を払っていた。
 なおも、フランは一人唄い続けた。
「か〜ごのな〜かのと〜り〜は〜」
 フランが唄うたびに緑の弾幕はその密度を増し、やがてレミリアを取り巻く大きな『籠』を形成していった。
「い〜つ〜い〜つ〜で〜や〜る〜」
 レミリアは、徐々に密度を増すが動かない弾幕への対処法を考え始めた。
「よ〜あ〜け〜の〜ば〜んに〜」
 フランは両手を広げて弾幕へ起動命令を下すと、高密度となった緑の『籠』が一斉に動き出した。そして、それらはレミリアへと集束していった。
「つ〜るとか〜めが す〜べった〜」
 レミリアはこの状況を打開すべく、一枚のスペルカードを手の内に具現化し、高々と掲げた。
「紅符『スカーレットシュート』!!」
 レミリアから紅色をした大小さまざまな弾幕が高速で飛び出し、緑の籠を破ろうと試みた。
 バリバリバリッ!
 緑の籠はスカーレットシュートによってブチ破られ、大きな穴が穿たれた。レミリアはその穴を通り抜け、フランを探すべく辺りを見回した。
「うしろのしょうめん、だ〜あれ〜?」
「んなっ!」
 レミリアは後ろからフランの声が聞こえ、振り向くと、目の前には狂ったような笑顔のフランが立っていた。
「あははっ! 禁忌『スターボウブレイク』!!」
 弓を引く構えをしたフランはスペルを宣言し、現れた七色に輝く矢をレミリア目掛けて打ち放った。
「よ、避けられ――がはっ!!」
 咄嗟に体を捻って直撃を避けることが出来たものの、レミリアはフランのスターボウブレイクに横腹を大きく引き裂かれ、喰らった勢いのまま吹き飛ばされた。そして、ズドンという音を立てて壁に激しくぶつかった。
「どうしたの? お姉さま。そんなんじゃ本当にシンジャウヨ? アハハハッ!」
「チッ!」
 レミリアは横腹を裂かれ、背中を打ちつけられた痛みを堪えながら、改めてフランの強さに焦りを感じ始めていた。
(やはり、あの能力は危険すぎる)

『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』

 フランの有する力はあまりに強力すぎた。思いと行動が制御できなければ、フランはいずれ必ず滅される。
 この幻想郷という世界の秩序を乱してはいけない。
 これは、かつての同胞たちが残してくれた唯一無二の真実の言葉だった。ゆえに、レミリアはフランを地下に封じ込め、その力を制御できるときが来るまで待つという選択肢を選んだのだった。
(だけど、結果としてフランの力をより強大にさせてしまった)
 フランはレミリアの思いを理解出来ぬまま、四百年余りの時を掛けて自らの力を高めていったのだった。
(そして、長い長い四百年間の結果がこの有様、か。我ながら先が見えていなかったようね……)
 フフッ、と自嘲気味に笑みを浮かべながら、レミリアはゆっくりと立ち上がった。
「さぁ、フラン。地下へと帰るのよ。私の言うことを聞いて頂だい」
「もう嫌っていっているでしょ! わたしはお姉さまの事、嫌いになったんだもん! だから、お姉さまも言っていいんだよ?」
 フランは涙目になりながら、さらに声を張り上げて叫んだ。
「フランなんか、大っ嫌いって!!」
「そんなことはありませんっ!!」
「!?」
「!!」
 ハァ、ハァ、と息を切らせて現れたのは、
「ティア!! 無事だったのね!」
「ハァ、ハァ。遅く、なりました。お嬢様」
 ロビーの階段裏から出てきたティアの服装は、あちこちが破け、所々血が滲んでいた。これを見てレミリアは、フランとティアが確かに地下で接触していたことを認めざるを得なかった。だが、表情には険しさを見せず、無事に戻ってきたティアを微笑みで労った。
「ううん、いいのよ。よく無事で帰ってきてくれたわね」
「もったいない、お言葉です」
 ティアもレミリアの笑みに応えるように、ちょっと苦しいながらも微笑み返した。
 ティアの苦しみながらの笑みを見て、レミリアは改めて一つの決意を固めた。
(やはり、ここでもう一度フランを封じなければ!)
 レミリアは漆黒色をした翼をバサリとはためかせると、
「ティア、ここでフランを封じ込めるわ。手伝いなさい!」
「封じる、のですか?」
「えぇ。フランはまだ外に出してはいけなかったのよ。まだ、だったのよ……」
 グッと握り締める拳からは、つつつっと血が流れ落ちていた。
(お嬢様……)
 ティアは、レミリアがどのような気持ちで自分を地下へ向わせたのかが分かった気がした。
「わかりました。手荒なことはしたくないのですが、お嬢様のお気持ちのためにも、倒れていったこの子たちのためにも、そして、フランお嬢様のためにも、ここは一つやらなければいけないようですね!」
「ありがとう、ティア……」
 レミリアとティアの会話を聞いていたフランは、沸々と沸いていた嫉妬の感情を爆発させた。
「何よ、何よ! お姉さまはわたしなんかよりも、その人間の方がやっぱり大事なのね!」
 フランは放り捨てた杖を拾い、レーヴァテインを召喚した。そして、再びロビーは地獄の業火に焼かれ始めた。
「そうよ。その人間さえいなくなればいいのよ。そうすればお姉さまはわたしのことを見てくれるんだから!!」
 フランは大きく振りかぶり、レーヴァテインをティア目掛けて思い切り振り下ろした。フランの背丈の何倍もの長さを持つ獄炎は、大きくしなりながらティアを襲った。
「ハッ!! アチチッ!」
 ティアは横に大きく飛び退いて、叩きつけられる炎を避けたが、その熱は周囲の空気を焦がし、ティアに軽いやけどを負わせた。なおもフランはレーヴァテインをそのまま横薙ぎに振り払った。
「ヨッ! お願いします、お嬢様!」
 上空へ飛んだティアは、薙ぎ払われたレーヴァテインの反対方向にいるレミリアに合図を送った。レミリアはそれを受けて一足飛びでフランの懐に入り込むと、紅い妖気を纏った拳をフランの腕に打ち付けた。
「キャッ!」
 メキッという骨が軋む音がし、フランは堪らずレーヴァテインを手放してしまった。そして、地獄の火炎はあっという間に霧散した。
 腕を押さえながら片膝をつく体勢で、フランはレミリアとティアを睨みつけた。
「さぁ、大人しく地下へと帰るのよ、フラン」
「嫌だと言っているのが、どうして分からないの? しつこいよ、お姉さま?」
「?」
 ティアは、急にフランの表情、口調が変わったので不思議に思い観察してみたが、フランには大きな変化は現れていなかった。
「これからは、ちゃんとあなたのところへ行くようにするから」
「えっ! それ、ホント?」
 ティアは、フランが先程までと同じ様子であったので、先程感じた違和感は無かったことにしておいた。
「えぇ、本当よ。約束するわ」
「ふ〜ん。でもさ、そこの人間は、どうするの?」
「!」
「わたし、そこの人間がいなくなるというのなら、考えてもいいんだけど。そうじゃないんだったら、ヤダ」
「フラン……」
 レミリアは少し考えてはみたが、直ぐに首を横に振った。
「それはできないわ。ティアはこの館のメイド長をやってくれているのよ? それに……」
「それに?」
「この娘は私と契約しているわ。それに、この契りはそう易々と切れるものではないの」
「お嬢様……」
 ティアはレミリアの言葉の余韻に浸っていると、
 ひっく、ひっく、えぐっ、
 フランが涙を流して泣いていた。
「お姉さまは、ひっく、そこまでしてその人間を、守ろうとするのね…… わたしなんかより、えぐっ、わたしなんか、より……」
 突然の涙に驚きながらもレミリアは、
「フラン、ちゃんと聞いてちょうだい。私はあなたもティアも、どちらも――」
「うるさい、うるさい!! もう聞きたくないわ! これ以上お姉さまと話していても時間の無駄よ。お姉さまがその人間を殺せないというのなら、わたしが徹底的に壊してあげるわ! 肉も、骨も、血も、魂さえも壊してやる! そう、全てを破壊できる力で!」
 フランは全身に力を込めて内なる妖力、魔力を解放した。七色の翼はギラギラと光り輝き、その威圧感はティア自身が始めて感じる、レミリアを凌ぐものであった。
「フラン、落ち着きなさい。あなたとは戦いたくなどないのよ!」
 あくまで戦わずしてこの場を収めようとするレミリアに対して、フランは溢れる妖気を吐息に混ぜてニマリと笑った。
「言ったでしょ? わたしはその人間を壊すの。だからね、どいてくれるかしら、お姉さま?」
 フランは三度杖を召喚し、杖を横薙ぎに振り払ったように、レミリアには見えた。
「ゴハッ!」
「お嬢様!!」
 まさに刹那の出来事であった。フランの杖は神速の速さでレミリアの脇腹を叩き、振り切られたのだった。レミリアは壁にぶつかり、その壁をぶち破ってとなりの客室にまで吹き飛ばされてしまった。ガラガラと崩れる壁にもたれかかり、レミリアはそのまま動かなくなった。
「お、お嬢様!!」
「フフフ、全く弱いわね、お姉さまは」
 ティアは慌ててレミリアのところへ駆け寄った。そして、そっとレミリアを抱き起こした。
「フフッ、さすがのレミリア様も、妹の力を少々見くびっていたみたいね」
「お嬢様、お体は大丈夫ですか!?」
「多少痛みはするけれど、そこまで気にする必要はないわ」
「そ、そうですか……」
 ティアは立ち上がったレミリアの脇腹から血が滲み出ていることに気づいたが、レミリアの言葉を信じ、次なるフランの攻撃に備えることにした。
「へぇ〜、弱いと思っていたけど、何だかんだでお姉さまもやるわね。お陰で愛用の杖が壊れちゃった」
 フランはひびが入った杖を見詰め、そして、ポイッと杖を後ろに放り捨てた。
「ま、道具が無くったって、この世界には弾幕っていう武器があるものね」
「フラン、やめるのよ。そんなことしたら、いずれあなたは――」
「何を心配してくれているの? 今はお姉さまの方がよっぽど心配されるべきなんじゃないかしら?」
 フランはブワリと、自分を包むように翼で体を覆った。
「2対1なんて不公平。だから、わたしも複数必要よね!」
 フランは体を包む翼を広げ、力を解放した。レミリアとティアの前に現れたのは、フランたち。4人のフランドール・スカーレットだった。
「これは……禁忌『フォーオブアカインド』。感情、喜怒哀楽をそれぞれに分解し、一つ一つを肉体に宿らせる禁断の術……フランはこんな力まで身に付けてしまったのね」
 レミリアは驚くよりも、むしろ悲しむように4人となったフランを見詰めていた。一方で4人に分かれたフランたちは、
「「「「これで、形成逆転ね!!」」」」
 四重奏のように喋りだし、それぞれの感情でもって言葉を締めくくる。
「わぁい、一杯遊べるね!」
「人間ごときが!」
「……お姉さまを……」
「取っちゃダメだよ〜ー!」
 フランたちはそう言うと、レミリアとティアに飛び掛った。
 レミリアには「喜」と「哀」が。
 ティアには「怒」と「楽」が、それぞれ一斉に攻撃を仕掛けた。
「ティア! 4人に分かれても、本体は一つ! まずはそれを見極めるのよ!」
「はいっ!」
 レミリアは客室、ティアはロビーで二人のフランを相手することになった。
 「喜」と「哀」のフランは客室にてレミリアと対峙していた。
「フフフッ!」
「……ハッ」
 二人のフランは赤や青の大小さまざまな大きさの弾をレミリア目掛けて撃ち放った。一方のレミリアは紅の妖気を弾に変えてそれらを迎え撃ち、相殺した。
 フランは、4人に分裂したことで多少の弱体化は認められたが、基本的な能力は等しかった。だが逆に、感情のままに攻撃を仕掛けてくるため、パターンや弾道は見極めやすくなっていた。
「私相手に、2人でいいのかしら? フラン」
 レミリアはあくまで本体を見極めることに集中し、むやみにフランを傷つけることを避けていた。ゆえに、フランの弾幕を軽く迎撃する程度で、あとは回避に努めていた。
「そんなことはねっ!」
「……分かりきってるもん」
 二人のフランはレミリアを挟んで立ち、レミリアに向って両手を突き出した。
「少ぉしだけさ」
「……眠っていてよね」
 七色に輝く翼を広げ、くるり、くるりと回転し始めた。
「「禁弾『過去を刻む時計』!」」
「何っ!? 同時発動だと!?」
 回転するフランからは、反時計回りに回る時計の針のごとき十字の弾幕が展開された。
 カチ、コチ、カチ、コチ……
 十字型の時計は本当に過去を刻むかのように、ゆっくりと回転しながらレミリアを追い詰めていた。この挟み込まれた状況で、レミリアが取った行動は、一枚のスペルカードの宣言だった。
「この状況を打開するには、やはりこの一撃に限るわ!」
 レミリアはカードを天頂に向って掲げ、宣言する。
「神槍!『スピア・ザ――』」
「その一辺倒な攻撃は」
「!!」
 レミリアはスペルカード宣言を遮るフランの声に、思わず腕を振り上げた状態で後ろを振り返った。そこには、「喜」のフランが左手を前にかざしていた。
「今も昔も……変わらないのね、お姉さま?」
「!!」
 再び前を向くと、そこには「哀」のフランが左手をかざして立っていた。
「過去を封じ、過去に縛られ、過去を顧みない。そんなお姉さまはね!」
「もっと……早く壊れるべきだったのよ……」
 弾幕に加えてフランにまで挟み込まれては、さすがのレミリアも掲げた腕を下ろすしかなかった。
「……フフ、そうね。そうだったのかもしれないわ。あなたを地下へと封じてからというもの、私はずっとその罪深き過ちを背負いながら生きてきたわ。唯一の肉親を、良かれと思って、私のわがままで封じたのだから。その結末くらい、私には見えていたはずなのに。だけど、見えなかった。だから、私はあなたを閉じ込めた。この幻想郷という世界で生きていくために」
「何が、生きていくために? 見えなかったから閉じ込めた? ふざけないでよねっ!」
「四百年以上もの間閉じ込めるなんて……ありえないわよ……」
 四百年前の真実を語られたところで、今のフランにはそれを租借して理解できるだけの理性が働かなかった。一つの感情だけでは、無理だった。
 カチ、コチ……
 そうしている間にも、時計の針は時を合わせようと二本の針がレミリアとフランに迫っていた。
「さぁ、今すぐここから離れるのよ、フラン。このままではあなたもこのスペルに巻き込まれてしまうわ」
「それはお姉さまも一緒でしょ?」
「早く逃げるか、ブレイク狙いでわたしを倒すかしないと……いけないんじゃないの?」
「ならば、私は逃げることなどしないわ!」
 レミリアは二人のフランの手首をガシッと掴んだ。
「えっ! ちょっと、離してよ!」
「お姉さま、離して……」
 二人のフランは慌ててレミリアの手を引き剥がそうとした。だが、フランが思っていた以上にレミリアの握力は強く、指一本引き剥がすことができなかった。
「さぁ、フラン、この場でブレイクするか、私とともに四百年の過去を清算するか! どうする!」
 カチ、コチ、カチ……
 時計の針はもうすぐそこまでやってきていた。懸命にレミリアの手を引き剥がそうとして暴れるフランの翼が弾幕とぶつかり、ジュッという音を立て始めていた。
「離して、離してよー!」
「離して、お姉さま……」
「さぁ、フラン、清算の時よ!」
 ジュウウゥゥ……
 フラン、レミリアの翼が弾幕に焼かれていきながら、フランだけは、
 笑っていた。
「「そっか。じゃ、後は一人で清算してね、お姉さま」」
「えっ?」
 次の瞬間、フランは霞のように消えていき、レミリアは空を掴むようにグッと握りこぶしを作った。
「チッ、こっちじゃなかったか……」
 レミリアは翼を焼かれながら、フフフ、と笑った。
「お嬢様! お逃げください!!」
 ロビーで戦いながらレミリアの様子を見ていたティアは、危機迫る主を救いたいがために大声で叫んだ。
「そうはさせないわ!」
「……させない」
 「喜」と「哀」のフランがレミリアの頭上を取り、完全にレミリアの逃げ場を封じ込めたのだった。
「チェック!!」
「メイト……」
 ズドーーン!!
「お嬢様―――!!」
 過去を刻む時計はお互いの針を交えた後、また新たな時を刻みながら姿を消していった。
 三人が戦っていた客間はもうもうとした煙で覆われ、中がどうなっているのか、外からは全く分からない状態となっていた。
 今すぐにでもレミリアの下へと駆け寄りたいティアだったが、今は「怒」と「楽」のフランと戦っているため、その願いを叶えることはできずにいた。
「フフフッ! ようやくお姉さまも壊れたな!」
「何てことを仰るのですか! あなたのお姉さまなのですよ?」
 「怒」のフランは表情を一層険しくしてティアに言った。
「黙れ、人間! この四百年という年月と共にあのような暗い地下に閉じ込めておいて、何を今更言っている!」
「しかし、それでも、あなたの唯一の肉親ではないですか! 姉妹同士で戦うなんて、悲しいことです!」
 「楽」のフランは、あくまで楽しそうに話し出した。
「そこまでわたしとお姉さまのことを思ってくれるんだったらさ、つべこべ言わずにひょひょいっとやられちゃってよね!」
 「楽」のフランは両手を前に突き出し、赤や青の弾幕を展開した。ティアは少し後ろに下がって距離を取ると、じっくりと弾道を見極めて、ススス、と避けていった。
「ぬるいな、おまえも……ハァッ!」
 「怒」のフランはティアの頭上を取り、上から紅く大きな弾を打ち出した。
(仕方が無いわね)
 ティアは両手を胸の前で組み、目を瞑ると、そっと歌いだした。
「ラララ〜♪」
 歌に力を込めると、ティアに向って飛んできた弾幕は、ティアとある一定の距離を開けて次々と消えていった。まるでそこには見えない壁があるかのように。
「これが、おまえの力」
「『全てを消し去る能力』、ね?」
 フランたちが拳にグッと力を込めると、見えない壁がパリーンと乾いた音を立てて破れた。
「『あらゆるものを破壊する程度の能力』……おそるべき力だわ。だけど――」
「?」
 ティアは力強くフランを睨みつけ、一歩たりとも引くわけにはいかない覚悟でもって立っていた。
「だけど、わたしの力は違う。『安らぎを与える程度の能力』とは違うのです!」
「言い方が違うだけで、似たようなものだと思うのだけれど? じゃ、そのどこから来るのかわからない自信を見せてみてよ!」
 二人のフランは翼をバサリと羽ばたかせると、
「禁忌『フォービドゥンフルーツ』!」
「禁忌『禁じられた遊び』!」
「えっ!? ちょっ! 同時スペルは反則だわ!」
 ティアはスペルカードをポケットから取り出し、宣言する。
「こうなったらわたしもっ! 歌符『マーメイドララバイ』!」
 三者のスペルが激しくぶつかり合い、紅や青の火花を散らせ、小さな爆発が幾つも起こった。
 戦局は二対一。圧倒的にティアが不利な状況は火を見るより明らかであった。
 レミリアは今も姿を現さず、今もまだもうもうと舞う煙の中でどうなっているのか全くわからなかった。
(お嬢様は、残りのフランお嬢様を何とかしてくださっているのかしら)
 チラリと壁の向こうの煙を見るも、その先の動きなど分かるはずが無かった。
「よそ見している場合? 余裕だね!」
 「楽」のフランはスペルを発動させながらティアへと飛び掛った。その声に反応して振り返ったティアの目の前には、嬉々として楽しそうな笑顔のフランが持つ杖が、ビュウ、と空気を切り裂きながら横薙ぎに振り払われた。
(しまった!)
 咄嗟に腕を間に入れられたものの、衝撃はほとんど緩和されずにティアへと伝わり、ティアは煙で充満した部屋へと思いっきり吹き飛ばされた。
「ナ〜イス、スィング! これが言いたかったのよね〜!」
 「楽」のフランは笑みを浮かべながら杖を素振りしていた。と、そのときである。
「なるほど、おまえ(・・・)、だったのか」
「!」
 フランは煙の向こうから聞こえてくる声に、ハッとした。
「受け取れ、我が妹よ!」
「なっ!」
 立ち込めていた煙が一気に吹き飛び、そこからは紅蓮の大きな槍が神速のごとき速さで飛び出した。レミリア十八番のスペル、神槍『スピア・ザ・グングニル』がフランを捉えたのである。
「ガハッ!!」
 フランは防御する間すら与えられず、グングニルをまともに受けて吹き飛んだ。
「これで、少しは……ハァ、ハァ、おとな……しく……」
「お嬢様!!」
 レミリアは、ありったけの妖力を込めてグングニルを放ったことによる妖力不足に陥り、ガクッと膝を付くと、そのままバタリと倒れてしまった。
 ティアは慌ててレミリアに駆け寄った。実は、吹き飛ばされたときにレミリアが煙の中で受け止めてくれたため打撃による直接的なダメージだけで済んでいたのだ。
「お嬢様!……あぁ、気を失っておられるだけね」
 ティアはレミリアを抱えると、安全そうな壁際まで運び、そっと床に寝かした。
「お休みなさいませ、お嬢様……」
 ティアはさっと立ち上がり、後ろを振り返る。
「お嬢様がお目覚めになられた時、全てが終わっている、いや、終わらせておきますから!」
 その視線の先には、ドレスの胸の部分に大きな穴を穿たれたフランが、ゆっくりと歩いてきていた。
「フフフ……わたしのとっておきスペル、『フォーオブアカインド』を見破るなんてね。フフフッ、アーッハッハッハ!」
 フランは横たわるレミリアを見て大笑いし始めた。どこかネジが抜けたような、気でも狂ったかのような、そんな笑いだった。
「だけど! この状況を見てごらんなさい? 勝ったのはわたし! これでようやく自由を得られるんだわ!」
 フランは笑いを堪えて勝利を噛み締める。
「もう地下に閉じ込められることなんて無いんだわ! フフッ! アハハッ!」
 堪えきれない笑いが口から漏れ出、やがて大きな口を開けて再び笑い出した。その大笑いを見て、ティアはやりきれない怒りが涌いてきた。
「何ということを仰るのですか! レミリアお嬢様は、フランお嬢様と共に生きていくために、そのためにあなたを封じなければならない、というお気持ちをどうしてご理解してくださらないのです!」
 フランは大笑いをピタリと止め、ギロッとティアを睨みつけた。
「何度も言わせないでよ! 四百年という年月を一人で過ごさせられてきたのよ? 何が共に生きてよ!」
「違います! あなたは閉じ込められてはいたけれど、一人ではなかった。お嬢様は常に紅魔館におられ、あなたと共に四百年の長い年月を生きてこられたのです。もし、本当にあなたを地下に閉じ込め、見捨てるつもりであれば、どうして今までずっとこの紅魔館に居続ける必要があるのですか?」
「……」
「それは、いつかあなたと、フランお嬢様と共に紅魔館で暮らせる日々を待ち望んでおられたからではないのですか? なのに、フランお嬢様は分かって下さらなかった……!」
「うるさい……うるさい! 黙れ! 何よ、それ。それがお姉さまの本当の意志だというの? 分からない、分からないよ!!」
 フランはギュッと拳を握り締め、力いっぱい叫んだ。
「では――」
 ティアはフランを背にして歩き始めた。
「もう少し、大人しく閉じ込められていることですね」
「……えっ、ちょっと!」
 我に返ったフランは、遠ざかるティアを見つけて追いかけた。ティアは振り返らず、フランの足音が近づいてくることだけを確認して再び口を開いた。
「そして、レミリアお嬢様のお考えをよくよく考えてみることです」
 フランは一切振り返らないティアに尋ねた。
「一体、わたしをどこへ連れて行こうというの?」
「あら? わたしはレミリアお嬢様の安全を考えて移動しているだけです。フランお嬢様こそ、どうして付いてきていらっしゃるのです?」
「それは……」
「まぁ、いいです。フランお嬢様をロビーから遠ざけたかったのは本当ですから」
 ティアは、ふふふ、と笑いながら歩き続けた。そして向った先は。
「ここは……」
 フランは薄暗い部屋をぐるりと見回す。ややかびとほこり臭い地下の一室。紅魔館所有の大図書館だった。図書館と言っても空間的に広いだけで、棚にはまばらに本が入っているだけだった。

 コツコツコツ、テトテトテト……

 二人の足音だけが図書館に響く。やがて、少し開けたところでティアは立ち止まり、後ろを振り返った。
「ここは紅魔館地下の図書館です。ここなら、館への被害は最小限に食い止められます」
 フランは再び見回し、また地下か、と思うのだった。
「ふん、ここでおまえの息の根を止めるというわけね」
「えぇ、ここであなたをしばらくの間封印いたします」
 フランは戦闘態勢に入ったが、ティアはジッと立ったままだった。
「ここはたくさんの本を収めることができます。これからこの館にはどのような本が収められるのでしょう」
「?」
「願わくは、わたしが書き続けた日記も、この図書館のどこかに加えていただけると嬉しいのですが」
「あなた、何を言って――」
 まったく戦いとは関係のない話をし始めたティアにフランが話しかけたとき、ティアの周りにある本棚が一つ、また一つ、何の前触れもなく消えていったのだ。あまりの光景に、フランは言葉を失ってしまった。
「このクウィンティア・エルディーネ、全身全霊でもってフランお嬢様を封印させていただきます」
 フランは、生まれて初めての恐怖を感じていた。たった一人の人間に、しかも、自分の何十分の一しか生きていない少女に。
 気づくとフランは、一歩、また一歩、後ずさりをしていた。本能のままに、一人の人間が恐怖の対象としてその紅色の瞳に映った。
 ところが、フランは俯き、後ずさりをピタリと止めた。
「ふふふっ! 何をそんなに恐れる必要がある? わたしは妖怪の中でも屈指のパワーと妖気を操る吸血鬼! 人間ごときに、膝を付かせられてたまるかっ!」
 フランは紅蓮の弾幕をティアに向けて放った。右手、左手、交互に撃ち込まれた弾幕は、
「そんな、バカなっ!」
 ティアの目の前でわずかでも爆ぜることなく、ただ静かにその紅の輝きを失っていった。
「大人しくしていてくださいね、フランお嬢様」
 ティアは両手を広げ、目を閉じ、歌を歌いながらゆっくりとフランに近づき始めた。
 完全無防備とも言えるティアに、フランはありったけの力でティアの破壊を試みた。だが、握る拳に力を込めても、どれだけ濃密な弾幕を浴びせようとも、ティアの歩みを止めることは出来なかった。
 破壊された障壁は張りなおされ、弾幕は障壁に吸収されるようにして消えていく。
 フランは、それでも構わず破壊し、撃ち込み、破壊していった。
「やめて! 来ないで! 消えたくない! 消えたくない! 消えたくないよ! わたしは、わたしは……!」
 涙を流しながら持てる力を解放してティアの破壊を続けるが、結果は何も変わらない。ただ二人の距離が徐々に縮まっていくだけだった。
「わたしは、ただ、お姉さまと一緒に……一緒にいたかっただけなのにっ――!あっ!」
 フランはそう叫んだとき、とてもやわらかく、温かいものに包まれた感触を得た。
「そうです。レミリアお嬢様もそう願っていらっしゃるのです。あなたはまだ心が幼い。だからお嬢様はあなたを安全なところへ移し、あなたの心が成熟する日を待っておられたのです」
「……」
「ですが、あなたはまだだった。地下でわたしを無造作に投げ捨てた。それを気に留めることも無く、ごく自然に……」
「あ、あれは、だって……」
 言いよどむフランに、ティアはふふふ、と笑って答えた。
「いいのですよ。わたしはこうして生きています。もうお気になさる必要はないのですよ」
「ティア……」
「!」
 ティアは、フランの言葉を聞いて、驚きに目を見張った。
「わたしのことを、『ティア』と呼んでくださったのですね! 嬉しいですわ、フランお嬢様」
 フランを包み込む腕に嬉しさの分だけ強さが加わった。そして、ティアは、黄金色に伸びたボサボサになっているフランの髪をそっとやさしく撫でつけた。
「さぁ、フランお嬢様。もう少しの間、お休みくださいませ。再び目が覚められたとき、そのときはお嬢様とともに、紅魔館で――」
「ねぇ、ティアは?」
「ふふっ、そうですね。もちろんわたしもご一緒におりますよ」
「フフフ、よかっ……た……」
 フランはぐったりとなり、ティアに体を預けると、いつ目覚めるともわからぬ永き眠りについたのだった。フランの目尻に光る涙をそっと拭うと、ティアはフランを抱きかかえて地上の自室へと向うことにした。

 地上を目指して階段を上っている途中、
「うぐっ!」
 ティアは急に胸が苦しくなり、膝をついた。
「ハァ、ハァ、やっぱり……」
 これまでの妖怪、フランとの戦いで相当な力を使ってきたことは明らかだった。最後には、今抱えるフランを封じるために繰り返し強力な障壁の展開に加えてフランを安らぎの能力でもって寝かしつけたのだから、体への負荷は計り知れないだろう。だが、ティアにはもう一つの思い当たる節があった。
「な、なんとかフランお嬢様をベッドまでっ……!」
 ティアは軋む体、痛む傷をむりやり黙らせて、一歩、一歩と地上へと向って再び歩き始めた。
 途中で何度も立ち止まり、胸の苦しみを押さえながらも何とか自室へと辿り着くことができた。すぐにフランをベッドに横たわらせ、シーツをかけた。
「ハァ、ハァ、ハァ……どうにか、間に合ったみたいね」
 ティアはベッドの側にあるイスをテーブルから引き出して座ると、天井を見上げて荒い呼吸が静まるときを待ち続けた。
 ようやく荒い息も収まり、最後に、「すぅー、はぁー」と深呼吸をすると、心臓の高鳴りも静まって、不思議なくらいに落ち着きを取り戻すことができていた。
「あぁ……そろそろ、かな……」
 ティアは血で赤く染まったスカーフを外してテーブルに置くと、首にかけていた、メイド服の内側に隠していた銀色のロケットを取り出した。
「ねぇ、お母さん……お母さんが急にいなくなった理由が、ようやく、わかった気がするよ……」
 ロケットの中には、ティアにそっくりな女性と幼きティアが微笑んでいた。
「お母さんも歌が上手だったし、これって親譲りの力、だったのかな……」
 ティアはロケットを見詰め、涙を浮かべていた。
「ねぇ、わたしの力は、忌み嫌われることなんて全然なかったよ。とっても、とっても役に立った」
 ベッドでは、フランが、すぅ、すぅ、と寝息を立てて眠っている。
「ねぇ……見て、いたでしょ? この幼き、吸血鬼の姉妹を四百年という長い呪縛から、解き放つことができたのよ……これって、とても、すばらしいこと――うぐっ!」
 再び胸を締め付けられる痛みがティアを襲った。痛みは先程よりも強く、長かった。呼吸もままならない。
「ハァ、ハァ、お母さんも、大切な人を守ったときも……こう、だったの、かな……」
 ティアはゆっくりとテーブルに体を預けた。
「ちょっと、疲れちゃった……」
 ふぅ、と一息ついた。
「お嬢様、わたしは……とても……」
 ティアは、静かに目を閉じた。その眠る顔は、とても、安らかだった。

 ティアが眠りについてからしばらくした後、起き上がった一匹の妖精メイドが、ティアの自室が開いていることに気付いてやってきた。
「!!」
 テーブルで眠るティアを見つけ、慌ててレミリアがいるロビーへと飛んでいった。
「!!!」
「……うっ……いたたた」
 妖精メイドの叫び声を聞いてようやくレミリアは目を覚ました。目の前にある光景は、よもや自分が住んでいた館とは思えないくらいに荒れ果てていた。
「!!」
 だが、妖精メイドは、そんなレミリアに泣きながら叫んだ。
「ちょっと、何よ、それ……」
 レミリアは痛みが残る体のことなど構わず、ティアの自室へと駆け出した。そして、ティアの部屋に入った瞬間、レミリアは言葉を失った。
 そこにティアの姿はなく、ただ、確かにここにティアがいたという証拠だけが残っていた。
 血のついた床。
 ベッドで眠るフラン。
 腰掛けるために引かれたイス。
 そして、テーブルに置かれたロケットと血色に染まったスカーフ。
 一つの欠落を除いて全てが揃っているというのに、その欠落はとても大きく、決して埋めることができない空白となっていた。
「……ウソ、よね……」
 レミリアはおぼつかない足取りでテーブルへと向かう。そこにティアがいることを信じて。
「ウソだと、言ってよ……」
 イスに僅かに残るぬくもりが、この場にティアが確かにいたことを示していた。
「……誰の命令で……いなくなれって言ったのよ!!」
 レミリアはテーブルに置かれたスカーフを掴むと、床に崩れて大声で泣き叫んだ。ベッドでフランが眠っていることも、側に妖精メイドがいることも、スカーフが涙で濡れてしまうことも、全て関係ない。ただただ泣き続けていた。
「ティア……う、うっ……ティア……」
「お嬢様……どうか、泣き止んでくださいませ」
「!! ティア!!」
 レミリアは立ち上がり、辺りを見回した。すると、窓際に、月の光を浴びてキラキラと光る輝きを身に纏いながら微笑むティアがいた。
「レミリアお嬢様……お嬢様のお申しつけどおり、フランお嬢様の封印に成功いたしました。次に目覚められたときは、かわいがってあげて、仲良くしてくださいね」
「えぇ! えぇっ! そうするわ! だから、あなたも一緒に――」
 ティアは、レミリアの言葉を遮るようにして首を横に振った。
「申し訳ありません、お嬢様。わたしはもう、この残像思念のみなのです。わたしの肉体はすでに安らぎの下へと旅立ちました」
「じゃあ……」
「はい……これでお嬢様とはお別れ、です……」
「ダメよ! 主人がダメと言ったわ。今すぐに戻ってきなさい!!」
「フフフ、お嬢様のわがままにお答えすることもメイドたるわたしの勤めでありましたが」
 ティアはゆっくりと、深々と、頭を下げた。
「最初で最期のわたしのわがままを、どうか、どうか、お聞き入れてくださいまし……」
「……フフッ! わかったわ、ティア。たまには、しもべのわがままも聞いてあげないとね」
「ふふっ、ありがとうございます……」
 ティアを纏う光がゆらりと揺れ、ティアもそれに倣って歪んだ。
「ティア!!」
「はい」
「……ありがとね」
「こちらこそ、短い間でしたが、本当にありがとうございました」
 光がもう一度揺れたとき、ティアの姿が徐々に薄らぎ始めた。
「ティア!!」
「わたしは……とても……」
「あぁ、行かないで! ティア!!」
 レミリアの瞳に映ったティアの顔は、満面の笑みだった。





「しあわせでした」





 東方紅月歌 最終章 封印 完


 時は現代へと突き進む。
 少女は目覚めた時、拾い集めた“記憶の欠片たち”に何を思うのか……

  エピローグ




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